昭和56年4月15日 朝の御理解 【 末永信太郎 】
第60節 おかげは受け徳、受け勝ち。
いよいよ明日は、春の御大祭をお迎えする事になります。今日は、前夜祭がございます。ここでは、前夜祭が非常に、お参りが少ない。遠隔地から泊りがけでお参りをされる方達で、まあ、ようやくお祭りが仕えられるといったような感じですけれども。本当に16日の御大祭をいよいよ有り難く頂かせて頂く為には、銘々の御大祭に向ける心というものを、確かめる意味においても前夜祭は大事にしなければいけないと思うですね。
その、まっ、軽く見ておる訳ではないでしょうけれども、やはり、前夜祭を頂かなければ大祭を頂いた気持ちがせんというくらいな、まあ、信心を頂きたいですね。おかげは受け得受け勝ちと仰ってるんですが。これは、昔、椛目時代に北野の中村さんが、熱心に信心が出けておられる時分のお話の中に。お参りのし儲け、お供えのし儲けという。まあ、言うなら有名な話をされた事がありますよ。
本当にね、おかげは受け得受け勝ちという事は、これが実感として言え、思える事だと思うですね。お参りのし儲け、お供えのし儲け。ね。いよいよ16日の御大祭にゃどれほどしの、言うならば事が、まっ、春秋の大祭、半年に一遍の御大祭ですね。ね。自分の信心がどのくらい有り難くなれたか、成長したか。それが、言うならばお参りの内容と、言うならばお供えの内容とが、ハッキリある意味においての答えだと思いますよ。ね。
どうぞ一つ、おかげは受け得受け勝ちと仰せられるのですから、もう限りない。もう、これだけで、これだけにしとけと仰るような事はない。いつぞや頂きました、とにかく、人が魚を釣っておるのを橋の上から、こう眺めておる人がある。実際に魚を釣る為には、やはり、言うならば竿もいりゃ餌もいる。同時に、自分が釣るという姿勢を作らなければ魚は、上からただ人が釣っておるのを見ておるだけでは出けません。
ね、実際に自分が魚を釣るという構え、姿勢を作らなければ。ね、そして、それは釣れる時も釣れない時もありましょうけれども。もう、何匹釣ったから止めとけという者は誰もありません。もう、それこそ何ぼでも、それこそ受け、おかげは受け得受け勝ちです。ね。限りない、言うならおかげの頂けれる為にも、一つ、いよいよ受け得受け勝ちのおかげを頂かせてもらう。
為には、その内容として、実感として、ね、お供えのし儲け、お参りのし儲け。その内容が実感となり、しかもその内容が段々育ってくるというところに、おかげは受け得受け勝ちという、おかげ、内容が分かって来ると思います。どうぞ。